仏様

本尊阿弥陀如来坐像(国重文)をはじめ、喜光寺には多くの仏様がおられます。平安時代から現代の仏様まで、時代も姿もちがう仏様には、その時代に生きた人びとの心が息づいています。手を合わせる者に、安らぎを与えてくださる仏様をご紹介します。

阿弥陀如来坐像(国重文)

■平安時代 木造 像高2.33m
現在のご本尊は阿弥陀如来をお祀りされていますが、創建時のご本尊は諸説あり判然としません。ご本尊の阿弥陀如来坐像は、いわゆる丈六仏とよばれる大きな仏様です。お体の金箔の多くは剥落し、光背も大きく破損していますが、慈悲深いお姿には時代の尊さを感じさせます。穏やかな表情や流麗な衣文は定朝様とよばれる平安時代の代表的なお姿です。優しいまなざしとほほえみは、多くの人びとを救い、安らぎを与えてこられたことでしょう。

ご本尊は令和元年9月より修復が行われ、令和2年5月に開眼されました。

※後背は令和7年3月まで、台座は令和4年3月まで引き続き修復中の為、ご拝観頂くことは出来ません。

脇侍

■勢至菩薩坐像  南北朝時代 木造 像高1.62m(写真:左)
■観世音菩薩坐像 南北朝時代 木造 像高1.64m(写真:右)
造立時期は定かではありませんが、大きな本堂にふさわしい威容をあらわします。また趺坐を組み、半跏にして足先をみせるのが特徴的です。穏やかな表情で、施無畏与願の印を組むお姿は、まさに極楽へと衆生を迎える来迎のありさまをあらわしてます。

弁天堂 御神影 宇賀神像

喜光寺の宇賀神は古くからあつく信仰を集めていました。興正菩薩叡尊上人が弁天堂に建立するにあたり、興福寺から譲りうけて宇賀神を祀ったと伝わります。宇賀神は人頭蛇身のお姿で神々しさを感じさせます。『喜光寺縁起』には「龗口(りょうく)宇賀神」と記され「福を徼(もと)める者、応験(おうけん)夥(おびただ)し」と、祈願して幸福を願う人には、多くの霊験を賜るとされ、今も多くの方が全国からご参詣に来られます。

行基菩薩像

■平成11年造立
喜光寺には江戸時代に造られた行基像がありましたが、明治時代に流出し現在は西大寺に安置されています。現在の行基菩薩像は平成10年(1998)の行基菩薩1250年御遠忌にあわせて造立した行基菩薩の御影です。墓所の竹林寺に安置されていた鎌倉時代の行基菩薩坐像(国重文・唐招提寺蔵)を模刻した像で、厳しい表情には一心に衆生を救おうと願う強い意思があらわれています。

石仏群

喜光寺には室町後期から江戸末期にかけて約150体の石の仏様がおいでになります。どのお像も表情ゆたかで愛らしいお姿ばかりで、昔の人びとの思いがいきづいています。すべての仏様を紹介することはできませんが、素晴らしいお像を紹介いたしましょう。

文殊菩薩騎獅像(経よみの文殊)

■文政十年(1827)
喜光寺には石造りの文殊菩薩が3体あります。古くから行基菩薩は文殊菩薩の化身であるという信仰があり、行基菩薩ゆかりのお寺では文殊菩薩が多くのこされています。喜光寺の文殊菩薩の中でも、特に精美をきわめるのがこのお像です。獅子の上に座り、お経を読みふけっているお姿は「経よみの文殊」とよばれ、智慧の仏様にふさわしいお姿です。

春日地蔵

喜光寺にはたくさんの地蔵菩薩の像がありますが、特徴的な像が3体あります。錫杖(しゃくじょう)を逆手に持って肩にかけ、横を向いておられるお姿です。これは「春日地蔵」とよばれ、春日大社の第三殿 天児屋根命(あめのこやねのみこと)が、本地仏の地蔵菩薩の姿で春日山から雲にのり、地獄に人びとを救いにむかわれる姿です。喜光寺は法相宗のお寺なので、法相宗を守護する春日大社の信仰はあつかったのでしょう。

阿弥陀如来(来迎(らいごう)の弥陀)

阿弥陀如来は西方極楽浄土におられ、善業を積んだ人がこの世を去るときに迎えに来てくださいます。その来迎の瞬間をきりとったお姿が、横を向いておられる阿弥陀如来です。昔の人びとの阿弥陀様への願いがこめられているお姿です。

不動明王(喜光寺不動)

不動明王は、大日如来の化身であり、忿怒の形相で衆生の悪い心をこらしめます。密教の仏様としてよく知られていますが、奈良仏教は早くから密教を受けいれていたので密教の仏様も多くのこされています。喜光寺にも4体の不動明王の尊像がありますが、なかでもこの像は「喜光寺不動」とよばれ、尊ばれています。毎年3月2日の行基會大祭の際には、不動明王の前で柴燈大護摩が組まれ、法要が行われます。

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